わたしは完璧主義だ。
「完璧な人間なんていない」「不完全でもいいんだよ」そんな言葉を並べられても、わたしは完璧でいたいし、指摘されるとひどく落ち込む。
この性格を、治したいと思ったこともなかった。
確かに、完璧主義は気にしすぎてしまったり、没頭するあまり周りが見えなくなるといった短所もある。
だが、ミスを恐れられているからこそ丁寧に物事を進められている自覚があったし、褒められることも多い。
完璧主義で何が悪い。
だが、ここでみなさんにお伝えしたいのは、「完璧主義から卒業しなさい」ということだ。
社会に出たら、不完全で進まなければならなくなる。社会はあなたの完璧なんて待ってはくれない。
社会にとっての「完璧」
そもそも、社会に完璧などあるのだろうか?
学校には、わかりやすい「完璧」が存在した。テストで100点をとった人はもちろん完璧だし、頭が良くて運動もでき、性格が良いうえに容姿も良い人は完璧だと称されただろう。
だが、上司から頼まれた仕事の「完璧」は、その上司次第だ。上司のその日の気分次第で変わることもあるかもしれない。
当たり前だが社会には完璧はないのだ。
さらに言えば、社会では完璧の基準はおろか、合格の基準すら分からない。
高校のテストには、赤点という明確な合格ラインがあった。
40点以上とれば再試験がない。その点数さえ超えていればどこを間違っていても良いのである。
大学のレポートにも、明確な締め切りがあっただろう。
卒業論文だってそうだ。内容をもっと深堀りしろだとか、引用をもっと持ってこいだとか、秋の時点では色々言われるが、最終締め切りまでに規定文字数に達していればだいたいの場合、合格である。
その点、社会は難しい。
仕事の目的は、締め切りまでに出すことでも、成績をつけるためでもないからだ。
仕事は、売り上げを出すためにおこなう。完璧であろうがなかろうが、結果さえ出れば、それは立派な社会人と言えるかもしれない。
上司に与えられた締め切りを破っても、良いものであれば評価されることもある。反対に、内容があまり良くなくても、早く提出したことで評価されることだってある。
だからこそ私たちは、不完全でも進む必要があるのだ。
完璧が出せるまで待っていては、いつまでたっても走り出せない。
大学のレポートは、締め切りまでに提出すれば評価は平等だったが、社会は違う。早く出した分だけプラスアルファで評価されるのだ。
完璧に近づけようと足掻いている間にも、ライバルは走り出していることを忘れてはならない。
社会での「頑張った」は無意味に近い。完璧を目指して頑張った期間に価値はない。
就活生にとっての「完璧」
さて、ここまで「社会が」「社会人は」と繰り返し伝えてきたが、就活も同じことが言える。
例えば、エントリーシートに完璧はない。
もちろん、「結論から書こう」だとか「8割以上埋めよう」だとかいうノウハウはたくさんある。それも大切だ。でも、そんなのは枝葉に過ぎない。
エントリーシートの基準は、読んだ担当者がいいと思うかどうかでしかない。
極端な話、人事Aに読まれていれば合格だったエントリーシートも、人事Bの心には刺さらず不合格となる可能性がある。
結局、誰が読むかの運次第でもあるのだから、エントリーシートなんて1日でも早く提出してしまったほうが絶対に得だ。
人事担当者に送るメールも、守って欲しいマナーはたくさんあるがとりあえず早く送った方がいい。完璧なメールなんて、社会人経験の浅い私たちには書けないからだ。
就活ないし社会は、正解も完璧もないからこそ、不完全で進んでいく勇気のあるものだけが、チャンスをつかんでいく。
そういう意味では、完璧主義である私たちは少しだけ、不利かもしれない。
完璧は目指すだけ無駄足だ。
それでも、完璧に近いものを出そうとする姿勢が大切なことに変わりはない。
社会の、人事の、上司の完璧の基準を知るためにも、まずは就活を通して、不完全なまま進んでみる癖をつけて欲しい。